食の安全を考える

日本における農業政策は、「基礎的食料」のルール化以外に・・・


1.ウェーバー制度の再検討


2.数量制限に関する要件の見直し


3.食料不足時における輪出国の輸出制限措置の見直し


・・・などがあげられています。


とくに2.については現行ガット規定にある「政府の措置」、「生産制限」、「同種の商品」、「非保存性(perishability)」などの概念がいずれもきわめて曖昧であるとして、その検討のために作業部会を設置することが提案されています。


それが米問題を強G意識したものであることはいうまでもありません。


全体としては、ガット・ルールを農業の特殊性を反映した、より制限的なものとするというのが基調になっているといっていいでしょう。


また、国内農業政策については、農業の特殊性からいって、当然その存続が認められるべきであるとします。


ただし、これには若干のニュアンスがあり、全面的に国内農業政策のガットでの協議を拒否しているわけではありません。

万葉の旅 4

通説の通り、万葉集の時代の上限は、甜明朝(629~41年)と見ていいでしょう。


つまり、律令制度の施行によって、中央と地方との交通の必要性が一挙に増大し、交通網が整備されはじめた時期に当たります。


つまり、万葉集時代における官人たちの旅は、基本的に管理された旅なのであり、かなりの程度に整備された交通施設を利用してゆく旅なのでした。


万葉集時代の旅は、不便この上もない、危険に満ち満ちた旅であったとする理解が一般化しているようなので、特に、まず、この点を強調しておきたいのです。


妻を思う万葉集に旅の歌は少くありません。


しかし、「雑歌」「相聞」「挽歌」のように、大きな分類項目名としては未だ採用されるに至っていません。


勅撰、集が「器旅歌」ないしは「離別歌」で一巻を立てているのに比べると、旅の歌は、ジャンルとして未確立でした。


巻七の「雑歌」中に「旅にして作れる歌九十首」、「挽歌」中に「旅の歌一首」があり、巻十二の「古今相聞往来歌」の中に、「旅に思を発せる歌五十三首」があります。


分類項目として出て来るのはこれだけです。


そこに収められている作のほとんどすべてが、歌人としては無名の官人たちの旅の歌なのです。

万葉の旅 3

「宿泊してゆくわけにはゆかぬ旅だ、せいぜいゆっくりと馬を歩ませて、この志賀を満喫してゆこうじゃないか」とうたう前者。


「ぜひ昼間見たかった田児の浦の有名な絶景を、官命に従わざるを得ない旅行日程ゆえに、夜見たことである」とうたう後者。


いずれも官人たちの旅の在りようをあらわした典型的な歌と言えるでしょう。


駅館」というのは、.」ういう官人たちが、馬を乗り換えたり、食事をしたり、宿泊したりする設備でした。


そこの柱にその一首がかけられていた、というのです。


通りがかりの官人たちは、むろん字は読めました。


しかも、そのうちの何割か、かなりの人達は、第三句までが序詞で、以下を導きおこしている短歌の構造を理解しえたのでしょう。


「つばらつばらに吾家し思ほゆ」。


なるほどなあ、といった感じで共鳴したにちがいない、と思われます。


・・・でなければ、駅の柱に歌を書いた紙など貼ってあるわけはないでしょう。


万葉集の旅の歌の中心をなすのは、官人たちの公用の旅の歌です。


彼らは七街道を通って各地へと任務を帯びて散っていきます。


駅から駅へと伝うようにして旅して行ったのです。


そして、その駅に、時には、歌の一首が貼られてあったりもしたわけです。

万葉の旅 2

律令体制を支える根元とも言うべきものは、情報網の整備だったのです。


幹線道路は整備され、管理化されていきました。


御存知の七道、三関がその中心です。


東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道、南海道、西海道。


東海道伊勢の鈴鹿の関。東山道美濃の不破の関。


北陸道越前の愛発の関。


常陸国出身の防人の一人、倭文部可良麻呂は、防人歌中唯一の長歌の中で、


・・・荒男も立しやはばかる不破の関越えて吾は行く・・・(巻二十)


と、その管理体制の強さをうたっています。


さて、「駅館」です。


各道路には、古代の単位での三十里(約16キロ)ごとに駅が設置され、地方中央を往復する官人たちが乗り継いでゆく馬が、5~10頭ずつ用意されていました。


彼らは、通常八駅(約130キロ)、急ぐ場合は十駅(約160キロ)進むべし、と規定されていました。


官人が日程に追われて旅をしていた様子をしのばせる歌として、次のような作がすぐ思い出されます。


近江国より上り来し時、刑部垂麻呂の作れる歌一首


馬ないたく打ちてな行きそ日並べて見てもわが行く志賀にあらなくに (巻三)


田口益人大夫、上野国司に任けらえし時、駿河の浄見崎に至りて作れる歌二首 (一首略)


昼見れど飽かぬ田児の浦大君の命かしこみ夜見つるかも 

万葉の旅

大化改新の詔にスタートし、壬申の乱を経て軌道に乗った律令体制の施行によって、交通網は著しく発展、整備されました。


律令体制とは、換言すれば中央集権制の意です。


それ以前の氏族制社会は、いわば連邦国家であって、地方々々がそれぞれ独自の原則に立って自治を行って来たのですが、それを廃して、全国を統一的な原則によって統治しようとしました。


これが律令体制です。


・・・例えば、同一条件のもとで起った同}の犯罪には、それがどこで行われようと、同一の罰則が課せられることとなったわけです。


現在の私たちから考えると、当然のことのように思われるけれども、大変な改革でした。


米国では州によって、同じ犯罪でもその罰則は異ります。


同じ国で、異った原則に立ってそれぞれの州が自治権を行使している現状を思い起せば、氏族制社会の在りようが理解できるでしょう。


それを統一しようというのであるから、ことは簡単ではありません。


九州で起った犯罪と、東国で起った犯罪とを、同一の犯例によって処罰する・・・。


この原則を公平に実施する唯一の方法は、情報を中央にいったん吸い上げ、組織的に各地方に流すことです。


裁判を例にとりましたが、経済を支える徴税方法や、直接一般庶民の日常生活に関係のあるさまざまな行政権の行使の仕方においても、むろんこのことは言えるわけです。

黙って3年は勤めよ

銀座の日本料理専門の料亭『出井』の社長、出井宏和さんは『食は三代』と題する本のなかで・・・


「職人として一人前になるには、関西料理ですと、洗い場ニ年、焼場ニ年、八寸ニ年、わき鍋ニ年、わき板ニ年といって合計十年かかりますが、細工物が多い関東は更に5年、合計十五年必要だと言われています」


・・・と述べています。


もちろん、これは料理センスの秀でている者が対象で、ただ年数だけこなせばよいというものではありません。


ファースト・フードやチェーン.レストランのようにマニュアルどおり調理すればよいというものなら格別の経験もセンスも不要でしょう。


しかし本格的な職人仕事となると、何であれ一人前になるには相当の歳月が必要になります。


医業また然りです。


医局に籍をおき、医局長の指示に従い、あちらへ勤めこちらに変わらねばならぬ派遣医は別として、開業を志している人が一箇所での勤務期間は3年以下ではないかと思います。


これは経理 転職を目指している人にも言えることです。


この勤務について、私は「黙って3年」を提唱してきました。

沖縄の民話 2

「美殿、おぬしは、俺が待ったなしに民百姓を手討ちにするような、気短者に見えるか」


「違います、旦那様!旦那様が、どうこうと、滅相もない!


手前は、その御腰の物のことを申しとります。お刀が恐うござります。


大和のお侍さんは、その刀を斬れ斬れとお尻をたたかれとるのとちがいますか」


大和は薩摩のこと。


薩摩の彼方はすべて大大和と呼びました。


美殿は植民地役人の無礼打ちや斬り捨て御免を、的を言い当てています。


「面白いことを申す奴だ。では刀剣を持たぬ琉球には、短期者は居らぬと申すのだな?」


鮫島の言葉はいささか皮肉っぽいです。


「は、さようでございます。琉球の唐手は先手を許しませぬ。意地(怒り)が出たら手を退け、手が出たら意地を退けと教えとります」


と、美殿は胸をはりました。


それは彼の発案ではなく、唐手だけの教訓でもありません。


沖縄の民の気質にまでなった土着の考えで「守礼」の二文字が示す平和の精神です。


美殿の口からすらすら出るのも当然でした。


鮫島はその「意地が出たら・・・」を呪文のように唱えつつ「不滅の言」といい、借金の支払延期は、鮫島の方から「一年待とう、それでいいのかな?」といって辞去しました。


それから数日後、鮫島は公務で鹿児島に帰ることになりました。


沖縄の民話

沖縄ツアーで人気のある糸満には、こんな民話があります。


昔、糸満に美殿という貧しい若い漁師が住んでいた。


この男、不漁つづきで生活に困り、薩摩の武士で、鮫島という若い役人から生活費を拝借した。


ところが、約束の期限が来ても美殿は返済する金が作れないので、大あわてで家をとび出し、洞窟に身をひそめた。


しかし、美殿は間もなく鮫島に見つかってしまった。


鮫島は文字どおり烈火の如く怒って、美殿の無礼を責めたてた。


「美殿、ぬしは恩借への礼儀を知らんのか。


琉球は守礼の邦というそうじゃが、嘘なのか。


本当は恩知らずの、無礼の邦ということか。


だが、どっち道、今日は勘弁ならんぞ!」


鮫島が大刀の柄を握りしめると、美殿は「ひぇー!」と悲鳴をあげ、いよいよ無礼打ちかと、青くなってふるえた。


しかし、一刻の猶予もならぬ時とて、美殿は必死になって自分の本心を打ち明けた。
た。


「お武家さま、わたしめのひと言もお聞きくだされませ。


家をとびだしてここに隠れましたのは、わたしめが、重々悪うございました。ご無礼はお詫びします。


しかし・・・」


お返しの金も整えないで、貴方さまをお迎えしたら、わたしめはどうなりましたか。


約束を守らぬ不届き者として、ただではすまなかったでしょう。


ご無礼とは知りながら、一時凌ぎに家を飛び出しましたが、足の奴が答めて此処から先は、歩けませんでした、と泣く。


鮫島は美殿の言葉をきき、その態度をじっと見て、美殿に嘘はないと信じた。


「訊くが、金が間に合わなかった訳は?」


美殿は風邪や台風で、長らく漁に出られなかった事情を涙の裡に打ち明けた。

ガットと農業の関係 8

関税に比べてやや雑然とした印象を受けますが、それは事柄の性格上通商政策の内容がいちじるしく多岐にわたっているためです。


それよりも、むしろ問題は次の点にあるのです。


通商協定の場合、原則として一応各種障害の除去・禁止をうたいながら、実はその内部に実にさまざまな例外措置が設けられています。


たとえば、数量制限の一般的禁止は通商協定の中核をなす規定です。


しかし、ガットはそうした原則の表明と同時に、その内部に農水産物の特例、国際収支難による特例、開発途上国の特例、緊急措置による特例、ウェーバーによる特例などの各種の例外措置を設けています。


ガット規定が難解をきわめている一つの理由は、こうした各種の例外措置がさまざまな条件を付したうえで広く認められていることによるものです。


こうして通商協定としてのガットは原則と例外が並存するきわめて複雑な体系をなしており、原則は原則としながらも各種の抜け道が用意されているのです。


この点はガットの現実妥協性を示すものであり、いわゆるガット・プラグラマティズムとして後に改めて問題にするでしょう。


いずれにせよ、このようにガットの通商政策に対する規制は、関税に比べてはるかに緩やかなものとなっているのです。

ガットと農業の関係 7

関税協定としての側面についてみれば、ガットはこれについてきわめて詳細かつ厳格な規制を設けています。


一般的最恵国待遇、関税引下げ交渉のルール、関税譲許の固定化、関税譲許の修正・撤回についての規制、各種の救済措置等です。


たとえば譲許された関税率(協定関税)は原則として3年間固定されますし、譲許の修正・撤回にさいしてはこれと等価の代償を提出することが要求されています。


こうした制限が存在するため、一旦譲許した関税率を再び引上げることはきわめて困難なのです。


そのほか、関税の定義・分類等についてもきわめて詳細な規定を設け、脱法行為を防いでいます。


こうして、こと関税に関する限りガットの規定は厳格かつ厳密をきわめており、ほとんど完壁に近いといっていいでしょう。


それでは通商協定についてはどうでしょうか。


通商協定の中核をなすのは数量制限の一般的禁止です。


それに加えて、内国税・内国規則の最恵国待遇、通過の自由、関税評価の客観性確保、補助金の規制などさまざまな個別通商政策についての規制が列挙されています。

カテゴリー

管理人のお気に入り

中古車 買取

車の売却をお考えの方は中古車買取ジャイアントへ。

  • 通販物流
  • 発送代行や物流倉庫をお探しなら、ネットショップ専門の物流倉庫会社に無料で一括見積依頼できる「EC物流倉庫ナビ」!ネットショップ・通販梱包発送、発送代行、通販物流、出荷代行、物流アウトソーシングの業者を無料でご紹介します。
  • 中古トラック
  • 中古トラック販売、買取のトラックセンター鹿児島。民間車検工場完備で車検/板金/整備/架装などお客様のあらゆるニーズに対応いたします。
テント レンタル

イベント集会用テントのお届けレンタル。往復送料無料で配送いたします。

  • ステッカー
  • 工業用ステッカー、包装用シール、食品ラベルまで、オリジナルにて、1枚から法人様向け大口枚数まで印刷・制作いたします。型抜きや特殊プリントのステッカー、シールも作成します。