万葉の旅 4
通説の通り、万葉集の時代の上限は、甜明朝(629~41年)と見ていいでしょう。
つまり、律令制度の施行によって、中央と地方との交通の必要性が一挙に増大し、交通網が整備されはじめた時期に当たります。
つまり、万葉集時代における官人たちの旅は、基本的に管理された旅なのであり、かなりの程度に整備された交通施設を利用してゆく旅なのでした。
万葉集時代の旅は、不便この上もない、危険に満ち満ちた旅であったとする理解が一般化しているようなので、特に、まず、この点を強調しておきたいのです。
妻を思う万葉集に旅の歌は少くありません。
しかし、「雑歌」「相聞」「挽歌」のように、大きな分類項目名としては未だ採用されるに至っていません。
勅撰、集が「器旅歌」ないしは「離別歌」で一巻を立てているのに比べると、旅の歌は、ジャンルとして未確立でした。
巻七の「雑歌」中に「旅にして作れる歌九十首」、「挽歌」中に「旅の歌一首」があり、巻十二の「古今相聞往来歌」の中に、「旅に思を発せる歌五十三首」があります。
分類項目として出て来るのはこれだけです。
そこに収められている作のほとんどすべてが、歌人としては無名の官人たちの旅の歌なのです。