万葉の旅 2
律令体制を支える根元とも言うべきものは、情報網の整備だったのです。
幹線道路は整備され、管理化されていきました。
御存知の七道、三関がその中心です。
東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道、南海道、西海道。
東海道伊勢の鈴鹿の関。東山道美濃の不破の関。
北陸道越前の愛発の関。
常陸国出身の防人の一人、倭文部可良麻呂は、防人歌中唯一の長歌の中で、
・・・荒男も立しやはばかる不破の関越えて吾は行く・・・(巻二十)
と、その管理体制の強さをうたっています。
さて、「駅館」です。
各道路には、古代の単位での三十里(約16キロ)ごとに駅が設置され、地方中央を往復する官人たちが乗り継いでゆく馬が、5~10頭ずつ用意されていました。
彼らは、通常八駅(約130キロ)、急ぐ場合は十駅(約160キロ)進むべし、と規定されていました。
官人が日程に追われて旅をしていた様子をしのばせる歌として、次のような作がすぐ思い出されます。
近江国より上り来し時、刑部垂麻呂の作れる歌一首
馬ないたく打ちてな行きそ日並べて見てもわが行く志賀にあらなくに (巻三)
田口益人大夫、上野国司に任けらえし時、駿河の浄見崎に至りて作れる歌二首 (一首略)
昼見れど飽かぬ田児の浦大君の命かしこみ夜見つるかも